「当会沿革」

在パラグアイ日本商工会議所は1975年に創立し(初代会頭:笠松尚一:かさまつひさかず)、以来パラグアイにおける日系商工業者の団体として活動して参りました。創設当初は、商社等の日本の進出企業が中心となっておりましたが、現在業の参加が多くなっております。また経済関係の職務で赴任されている国際協力機構・専門家並びにシニアボランティアの方、企業の方に特別会員として参加していただいております。

 創立1975年5月13日

 初代会頭 笠松 尚一
 二代会頭 豊歳 直之
 三代会頭 白沢 寿一
 四代会頭 松宮 祐作
 五代会頭 田中 裕一
 六代会頭 林  英二郎
 七代会頭 森谷 靖雄(現職)

「創立の経緯(パラグアイ日本人移住五十年史より−経済活動−パラグアイ日本商工会議所会頭 笠松 尚一)」
 
  
1969年5月6日、当パラグアイ国で経済活動に従事している人達で、親睦的な集まり「火曜日会」を設立した。名誉会長に二股一男大使、井上嘉博経済担当官、永田良三移住事業団支部長、正会員は笠松尚一、福岡暉久、石岡、松崎、中島、杉井明、篠崎、豊歳直之、以上九名、世話人笠松尚一で発足し、毎月定例夕食会と会員及び来訪者の歓迎会等を行っていた。

 1975年3月26日、南米経済担当官会議主席の野々垣哲夫経済担当官、及び民間代表の藤村登(三井)、佐藤禎孝(ISEPSA)の報告昼食会で、パラグアイ日本商工会議所設立の必要性が力説され、続いて1975年4月23日、種谷大使より、「6月には、ラプラタ大型経済使節団が来パされるが、大使館ではスタッフが少なく受け入れが難しい、早急に商工会議所を設立して協力を頼む」と強力に要請を受けた。よって5月6日、設立発起人会、5月7日には永野大型経済ミッション歓迎準備委員会を開き、一九七五年五月十三日、日本商工会議所創立総会を開催した。創立委員十四名、初代役員会頭笠松尚一(笠松商工)、副会頭宮廣千代蔵(CAICISA)、豊歳直之(豊歳)、定款作成委員坂本邦雄(住友)、豊歳直之。

  1975年6月26日、ラプラタ河流域諸国経済使節団来訪、団員は以下の通り。

  永野重雄団長  日本商工会議所会頭
  水上達三副団長  日本貿易会会長
  同法眼晋作  国際協力事業団総裁
  同大来佐武郎  外経済協力基金総裁
  星野副総裁  日本輸出入銀行
  平塚理事長  金属工業事業団
  古賀会長  三菱重工
  田口会長  石幡
  田部社長  三菱
  池田社長  三井
  戸崎社長  伊藤忠
  檜山社長  丸紅
  津田社長  住商
  神林社長  日綿
  小野社長  五洋建設
  植田副社長  日商岩井
  田坂副社長  新日鉄

上記に付け加え、政府随員五名、夫人6名、秘書10名、近隣諸国より12名、計51名の文字通りの大型使節団は、商工省、外務省訪問、経済閣僚会議に出席、翌日は大統領表敬訪問、経団連、工業連盟、経済界代表と経済、金融懇談会等に出席。
 パ国政府の使節団に対する要望事項土木建築関係、
@コロネルオビエド〜ペドロファン・カバリェロ間舗装三、700万ドル、
Aペドロファン・カバリェロ〜コンセプシオン間舗装二、700万ドル
Bアカアイ〜ラ・コルメナ間舗装375万ドル等であった。
 又10月にはブラジル日本商工会議所経済使節団、橘富士雄団長以下80名が来パ、その応接を行った。


 爾来、今日に至るまで、本来の経済活動と共に、外来の経済関係者と当国政府及び経済界との仲介、懇親等役割を果たし当国経済界の発展に寄与しつつある。